どんな人間にも、無意識の行動を決定づける行動規範が存在する。
それは教育や思想により決定づけられたもので、きわめて強力である。
言葉は後天的・理性的に身につけられたもの。
人はネガティブな言葉を避け、ポジティブな言葉を使いたがる。
極端にいえば、きれいごとを言いたがるものなのだ。
本心は隠蔽される
だから、公然と誰かをあしざまに言う人は少ない。
自己批判の目が、それを許さないから。
マンガに頻出する「いじめっ子」は、あしざまな言葉を使う時点でリアリティが不足している。
現実に一番多いのは「みんなのために誰かを責める」という形。
みんなのために私は怒ってあげてるの、という形式を装うのである。
悪意を持って人を傷つける自分を認められる人は少ない。
多くは善意に偽装している。
つまり、「言葉は信用ならない」というのを前提とする。
本音はいつも隠蔽される。
当たり前のことではある。
本音を言えばみんな、他人に褒められたいし、性的快楽を得たいし、さぼりたいし、楽をしたいという事になる。
それを覆いかくして日常生活を送っているわけだ。
それを隠しおおせないときに、「リアルな人間性」を垣間見たというきぶんになる。
それこそがゆるぎない本音なのだと確信する。
これは日常生活でも創作でも同様。
動機からキャラクターを作る
キャラクターを造形するとき、強烈な動機をひとつつくる。
きれいごとではなく、本心から持っている動機である。
月並みだが、マズローの欲求階層などを参考にしよう。
その動機を覆いかくすように、このキャラの言動を設計していく。
人間は本心を隠そうとするとき「逆」を装う傾向にある。
出世を望む人間ほど「役職に興味はない」と言いがちなのだ。
だが、物語が進行する過程でこの動機が行動から透けて見える。
誰から見ても分かる形で「真の動機が行動に反映される瞬間」を描ければ、
それ自体がきわめて強力なドラマを生む。
真の動機は自覚があるパターンとないパターンがある。
自覚がある:①肯定している → サイコパス的な人物(最強の悪役向き) ②否定している → 自己矛盾を抱えた人物(悩む悪、悩む味方などの人物描写) 自覚がない → 自己洞察のレベルが低い人物(主人公やモブに向く)
主人公はシンプルな動機を持っているだけのように見えて、
実は真なる動機として原始的な動機を抱えていたりすると、立体的描写になる。
悩むことのなかったキャラが、はじめて自分の中の矛盾を発見して悩むようになるという構図もドラマチックとなる。
おすすめしたい。
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