物語には対立が不可欠である。
このことは、すこし創作をかじった人間なら皆が知っている周知の事実だろう。
人間がひとりいるだけでは、物語は進展しない。
恋愛対象、ライバル、敵……さまざまなかたちの対立構造が発生してはじめて、物語は先へと進み始める。
このことは、誰しも直感的に理解できる。
だから、「よし対立だな」と筆を執り始めてしまう。
「悪役がいる、こいつは私利私欲のために人を傷つける。主人公がそれを止める。完璧だ」
確かに完璧だ。完璧に揺るがない、定番の対立構造だ。
定番というのはつまり、裏を返せば「手垢にまみれている」ということだ。
見せ方を工夫すればいくらでも面白くできるだろうが、それはアクション映画と同じ面白さだ。
きみが小説を書こうとしているなら、文字だけでハリウッドの映像技術と5億ドルの予算に対抗することになる――同じ対立構造を採用してしまっているがために。
手放しで、おすすめはできない。
評論文を読んでみよう
そこで、対立を見いだすために、興味のあるジャンルの評論文を読んでみよう。
納得のいく主張に出会えたなら、その主張を「主人公」と設定する。
できのいい評論であれば、論理展開のなかに反論を盛り込んでいるだろう。
反論は「敵」になっていく。
こうすると、「敵」は単なる障害ではなく、ある主張を持つ存在へと生まれ変わる。
もっとも強大な敵――「ラスボス」として設定すべきは、
じぶんがいちばん納得しそうだった反論である。
これは強い。
評論の書き手が真摯な人柄であれば、
もしかしたら、この反論に関しては答え切れていないかもしれない。
そういう主張こそ、最後の敵にふさわしいだろう。
こうして見ていくと、評論文はそのまま小説のプロットとして読める。
主人公(=ある主張)が、次々と襲い来る敵(=反論)を平らげていき、
最後にはもっとも強大なラスボス(=最大の反論)と決戦し、勝利を遂げる。
ほら、これは物語に他ならないだろう?
もし可能なら、この評論文一本にとらわれることなく、発展させてみてほしい。
その評論で取りこぼされている部分を、その評論に対する批判から引っぱってきたり、
じぶんの思う反論をぶつけたりして、主張がどのようにそれらを跳ね返すか、見てみよう。
すべてを跳ね返せる主張でなければ、それは主人公たりえないということだ。
ちなみに、上記はあくまで他人の発想をベースにした訓練でしかないことに留意してほしい。
新しい議論に踏み込めていなければ、人の心は打たない。
そこで、下記のような訓練を推奨する。
孔子問答
一問一答の形式で、じぶんが思っている真理を明確にしていく、という訓練だ。
「論語」における孔子と弟子たちとの問答のように、
「弟子の質問に対して先生が答える」という形でさまざまな問題を考えてみよう。
きみ自身が、「すべてを知る万能の人間」であるという前提を元に、
持ちかけられた人生相談に答えるようなつもりでやってみるといい。
これはじぶんの考えを浮き彫りにする訓練だ。
弟子「先生、なぜ人は夢を抱くべきなのですか?」
先生「それはね、~~~~~~~~~~~~」
慣れてきたら、弟子に反論させてみるといい。
すると議論が深まり、納得のいく論理の流れ=ストーリーの流れが生まれる。
弟子「先生、なぜ人は夢を抱くべきなのですか?」
先生「それはね、人は目標を持ち自分を高めようとしているときにしか成長できないからだよ」
弟子「ですが、分不相応な夢を思い描くことで、人生の選択を誤ってしまう人も多いです。こういった人にも夢は必要なのですか?」
先生「夢は必要だよ。最初は大きく思い描いたっていいんだ。ただし、夢は細かくステップに区切るべきだ。まずはこうして、次にこうして、次にこうして……と、順を追った計画に落とし込んでいく。すると、そうやって追っていくうちに、自分はここまででいいな、という到達点を見いだすこともできる。たとえば、小説家になろうとして計画を立てていったときに、『自分は毎日書く生活をできていればいいな』という結論に達するかもしれない。それはそれでいい。夢が形を変えただけのことだ」
弟子「つまり現実的な妥協点を探せということですか?」
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よくできた物語は、高度にロジカルに構成されているものだ。
物語の根本は正確に言えば「対立」ではなく「論理的対立」なのである。
主人公はある概念を象徴し、敵役はアンチテーゼを象徴し、お互いがせめぎ合う。
こういう構図がかっちり固まっている物語は、強靱な芯を持つことができる。
物語の骨格における脊髄たりえるのが、「論理的対立」なのだ。
また、読者にとっては、主人公と敵役が対立しているテーマが身につまされるものであるほど、
物語自体を重要に感じてくれる。
主人公の勝利・敗北は、いまや読者にとって自分の与する考えの勝利・敗北となっている。
こうなれば、勝負のゆくえを手に汗握って見守らざるをえなくなる。
炎上ニュースから質問を導き出す
では、最初のきっかけとなる「質問」が思いつかなかったら?
おすすめしたい手法は、「炎上ニュースを見ること」である。
そもそも時代をいちばん反映しているのはニュース=出来事だ。
あるニュースに対し、人が感情をあらわにしているとすれば、そこは価値判断が入り組んでいる箇所に他ならない。
だれかがなにかをやらかして炎上している――そこに隠されているのは、
「現代」という時代を象徴する、なんらかの価値判断だと見てまちがいない。
ひとつ炎上案件があれば、SNSやニュース記事のコメント欄を漁っていくことで、
議論の流れを見ることもできる。
炎上した人を叩く人、庇う人、他の社会問題を重ねる人……それらを観察し、
そこに「対立構造」の存在を見いだしっつ、自分なりの考えをまとめてみよう。
例 | 「不倫は、既婚者男性と不倫相手の独身女性、どちらが悪いのか?」 |
「なぜ人を容姿で判断してはいけないのか?」 | |
「悪意がない差別用語使用は許されるのか?」 | |
などなど…… |
おおむね論理を深めていくうちに、
「これは小説のネタになる」「これはならない」という区別がおのずからできていく。
基本的には当初の「炎上ニュース」選択の段階で、
自分が興味を示したものを選んでさえいれば、さほど関心を外れることもないだろうが、
自分が書きたいものと重なるかどうかは、運に任せる他ない部分がある。
ただ、この訓練をしておくと、ニュースを漫然と見て脊髄反射せず、
自分の思考をもとに価値判断を行うという習慣がつくのもよい。
よしんば小説の形に結実しなかったとしても、
自分なりの思考を持つこと、自分の価値観を明確にすることは、決してマイナスにはならない。
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