きみの物語は、いまどの段階にある?
プロットは完成したか?
あらかた構想は固まってきたが、紙に書き出したりはしていない?
その段階にいるようであれば、先に勧めたい手法がある。
キャラクターのひとりを視点人物に据えたショートストーリーを書いてみることだ。
その人物像や変化を知るのにおすすめの方法だ。
じぶんの完成作品に対する、二次創作のつもりでやってみるといい。
キャラクターの思考回路、来歴、変化の方向性などが見えてくる。
とくに群像劇の際には、「複数のキャラクターひとりひとりに変化をもたらす」必要がある。
主人公が複数であるのが群像劇の条件で、物語を通して変化するのが主人公の条件だから、
必然的に、いくつものキャラクターアーク(※どのように成長するかの流れ)を設定することになる。
それぞれのキャラクターが持っている主題、解決すべき課題などを掘り下げる必要があるのだ。
その上で、それらを無理なく時系列上に配置しなければならない。
だから、群像劇とは難しいのだ。
群像劇のかたちで書くまえに、
ひとりを主人公とした物語を書き上げてしまおうというのがこのアイデアだ。
「いや、わたしの小説には主人公はひとりだよ。だから群像劇じゃない」
という方もいるかもしれないので、ことばを変えよう。
「その物語を通して変化する人物は、複数人いるか?」
この質問に対する答えがイエスなら、今回の手法は試してみる価値がある。
僕の場合、キャラの内面に踏み込みやすいことから一人称で書くことが多い。
じっさいの本文の人称をどう選ぶかは留保する。
ショートストーリーは生まれから書く
デイヴィッド・コパフィールド流(©ホールデン・コールフィールド)でいこう。
つまり、生まれから書くのだ。
どういう環境で成育したかというのは、その人間の人生観を形づくる。
ひとは一人では育たないのだ。良かれ悪しかれ、かならず親や兄弟、友人らからの影響を受けている。
もちろん、なにかトラウマがなければならないというわけではない。
幼少期の大きなトラウマひとつで人生観が歪む――というのは悲しい真実のひとつではあるが、
全キャラがかくあらねばならないということではない。
いい環境で育ったものもいれば、
よくない環境で育ったものもいる、ということだけを踏まえておけばじゅうぶんだ。
これまでに学んだことと、これから学ぶべきことを明確にしていくには、
やはり、生まれから書くに如くはない。
これは、家族構成という重要なファクターを見落とさないのにも役立つ。
生まれから書き、そのキャラが幼少期からなにを考え、どのように行動し、
物語の始まる地点まで至ったのかをたんねんに追ってみよう。
ちなみに、本編ではキャラクターの誕生からストーリーラインを始める必要はない。
おおむね、キャラクターやストーリーのいちばんドラマチックな箇所を切り取るかたちでよい。
ただ、それ以外の時間もきちんと考慮しなくてはならないというだけだ。
ラウンドキャラクターなら、「呪い」を持つ
物語開始時点でどうなっているかは、
このキャラクターをラウンドキャラクターとして扱うか、
フラットキャラクターとして扱うかによって異なる。
ラウンドキャラクター……多面的で葛藤する人物 フラットキャラクター……一面的で葛藤しない人物
ラウンドキャラクターとして、つまり主人公のひとりとして扱うのであれば、
物語開始時点ではなんらかの「呪い」を抱えているだろう。
「呪い」は、あるいは認知の歪み、あるいは過去のトラウマ、あるいは人間性の欠如として現れる。
これが、本キャラクターが物語を通して解決すべき課題となる。
複数人を主人公として取り扱う群像劇のかたちをとるのであれば、
ひとつの主題の変奏を割り当てるかたちになるだろう。
たとえば、作品のテーマを「夢を叶えること、夢を追うこと」と設定したとしよう。
主人公AくんとBくんを、それぞれ下記のように設定する。
キャラクター | 主題 | 課題(呪い) | 変化 |
Aくん | 夢を追うのはよいことだ | 夢をまっすぐに追いかけられない(自分に自信がないから) | 自分に自信を持ち、夢をまっすぐに追いかけられるようになる |
Bくん | 夢に囚われて現実をおろそかにしてはならない | 夢を追うために周りの人間を不幸にしてしまう | 夢と現実の生活のバランスをとれるようになる |
このようにひとつの主題の変奏を複数のキャラに割り当てると、
たとえばAくんはBくんのすがたを見て、
夢を追えばああやって周囲を犠牲にしてしまう。
ぼくも夢を追ってはダメだ……。
と意志を頑なにしてしまったり、
BくんはAくんのすがたを見て、
思い切って夢を追わないからあんなに自分への自信をうしなってしまってるんだ。
やはり夢を追うことは間違ってないな!
などと、よくない自己肯定感を手にしたり――といった相互関係が生ずる。
この関係は、Aくん、Bくんがそれぞれにじぶんの「課題」に向き合い、
学ぶべきことを学んでいくなかで変化を遂げていく。
たとえば成長して夢を追いはじめたAくんのすがたをあらためて見ることで、
ああいうふうに、周りの人間を傷つけないかたちで夢を追うこともできるのか!
と、Bくんが改めて学んだり、
成長して周囲を気づかいはじめたBくんを見て、
Bくんみたいに、大事な夢に軸足を置きながら、
きちんと地に足もつけられたら最高じゃないか!
と発見したり、というふうに、
互いが互いの成長に影響を受けてまた成長する、というサイクルが生まれはじめる。
このように有機的に結びついた人間関係が生じはじめると、
個々のキャラクターが持つテーマはどんどん深く掘り下げられていくし、
人間関係にもテーマ的な意味合いが付け足されるのである。
物語終了時点では、主人公たちの持つ「呪い」が解消され、成長が成し遂げられるはずだ。
今回の例では二人だけだったが、主人公が増えていくほどに、
指数関数的にテーマの深掘りは進んでいく。
とはいえ、主人公を増やせば増やすほどいいというわけではない。
あくまでじぶんが取り扱える人数までで留めよう。
フラットキャラクターなら「成長後」か「成長前」か見極める
フラットキャラクターの場合、物語を通しての成長は基本的にない。
そのため物語開始時点での「呪い」は存在せず、
すでに(よくも悪くも)安定した人物として登場する。
こういうキャラクターも必要だ。
誰も彼もを成長させようとすると、主題を見失う羽目に陥りかねない。
ただし忘れてはならないのは、フラットキャラクターも人間であるという事実だ。
この人物が成長を遂げるのは物語の外、
焦点をあてた短い期間の「以前」か「以後」であるというだけの話なのだ。
つまり、すでに成長したあとの人物であるか、物語後に成長する人物であるか――の二択である。
すでに成長したあとのキャラクターであれば、成熟したキャラクターであるということだ。
主人公などの未熟な人間を教え導いたり、あるいは対決したりする。
こういう人間が多くいるほど、物語は厚みを増すだろう。意識して増やしていこう。
物語後に成長する人物であれば、まだ未熟な人物だということになる。
子供である、ということではない。
大人であろうと、学ぶべきことを学んでいない人間はごまんといる。
こういった人物についてわざわざショートストーリーまで書くことは少ないだろうが、
この類いの人びとにも、学ぶべき課題やその機会があるという事実を見失ってはならない。
たとえば主人公に暴力を振るう悪童や、罵声をぶつける市民たちにも、
学びの機会さえあれば、変わることはできたはずだ。
そういった機会を持てなかった、不幸な人びともいる。
そういう視点を、なくさないように気を付けよう。
ショートストーリーは物語終了時点まで追って書く
ショートストーリーは物語開始時点での「課題」を見極めるのに必要だと書いた。
では、物語開始時点――すなわち、そのキャラが物語に登場する時点までを書けたら、ショートストーリーは終えるべきか?
ぼくの場合は、物語終了時点までを追って書くようにしている。
なぜなら、そのキャラを視点としたときにその物語がどう捉えられるか――という視座が、物語本体を進めるうちに抜け落ちてしまうことが多いからだ。
物語全体を進めはじめると、そちらを追うので精いっぱいになってしまい、各キャラクターが出来事をどのように解釈するかまで頭が回らなくなることが多い。
人間は、出来事を「じぶんに引き付けて」解釈する。
「じぶんだったらどう思うか」 「じぶんだったらどうしたか」 「じぶんだったらどう言ったか」 「じぶんはどう思うか」 「じぶんはなにをするか」 「じぶんはなにを言うか」
このように、「じぶんはいまどうするか」という思考は必ず片隅に存在する。他人のことを考えられる人であっても、これは変わらない。
出来事に対するキャラクター特有の反応を、ショートストーリーで掘り下げるようにしよう。
その内面描写は、本編には採用されないかもしれない――。
だが、発言や行動の裏付けとなって、キャラクター全体の厚みを増す結果に繋がる。
「こういう風に考えてこう行動/発言したのだろう」と読者が思うと、キャラクターの息づかいがうかがい知れるのだ。
こういう部分を、おろそかにしてはならない。
そのためにも、ある程度物語世界でどのような出来事が起きるかを、ショートストーリーを始めるまえに決めておくとよい。
①年表 | 主な出来事を記述しておく |
②ショートストーリー | あるキャラの視点から物語を追う |
③プロット | 全体から物語を追う |
④本文執筆 |
このような順序で進めるのが、望ましい。
ショートストーリーを書くのはめんどうくさい、だがやる価値はある
「プロットのまえに何十枚もの『使わない原稿』を書くの?」
「さっさと本文に移りたいのに」
という声も聞こえる。
たしかに、このショートストーリー執筆はめんどうくさい。
ただただ、本文執筆を遠ざけ、遠回りしているように思える。
だが、やるだけの価値はある。
キャラクターの課題を見極め、その声を聞き、感情に焦点をあててたんねんに追いかけていく作業をしていくことで、本編のブレが減る。
場当たり的な発言や行動が減り、キャラクターが単なる舞台装置から厚みのある人間へと変わってくれる。
結果として、大幅に書き直しが減ってくれるだろう。
また、原稿の無駄を恐れてはならない。
原稿は無駄に書くものだ。
推敲段階では気に入ったエピソードもセリフもキャラクターも、容赦なく削らなくてはならなくなる。
1,000枚書いて、そのうちの400枚を使うつもりで臨もう。
その400枚は、すくなくとも1,000枚ぶんの厚みを持つことになるのだ。
無駄書きした原稿を惜しんではならない。
素振りしたバットがボールに当たらないからといってやる気をなくす野球選手はいない。
素振りは素振りだ。
重ねた回数分だけじぶんに実力がつく。
それでいい。
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